ライフログのノート書きに追われている理由は?を考える
ライフログノートに書き写す作業ばかりで、一日を終える日もチラホラ出てきたことは、前回書きました。
詳しくは、こちら↓
【ライフログを始めたら、こうなった】
追われている理由は、何だろう?立ち止まって考えれば良かったのです。
けれど、本を読んだときに『続けないと分からない』『だんだんとじわじわと効いてくる』と書かれていたので、「とにかく、時系列に沿って書いておくぞ。」と、書き写し続けるのを優先しました。
時系列にこだわったのも敗因かもしれません。
読み直しも、まったく行わなかった訳ではないのですが、5ページほどめくって「うん、ライフログは続けられている」「字ばかりで読みにくいけど、これは文章をマルッと残しておきたい」という見返しかたが多かったです。
とてもじゃないけど、読み直しとは程遠い感じでした。
それでも、少しライフログノートの取り方を変えたこともありました。
·カレンダーをスケジュール用に印刷して貼る
·体重の記録をグラフにするためにExcelで、表をつくって貼る
·印刷して貼るが、面倒になったら直接ノートに線を引いて表を作る
またライフログが楽しくなってきました。メモが飛んでも、不明な日が出てきても、楽しくなってきたので続けたのです。
楽しくてもライフログノートの書き写しに追われるのは解決できないままでした。
それは、考えた結果に対して行動できたからかもしれません。さほど変化していなくてもグラフを作った、カレンダーも使うようになった、実行できて満足。と。
2016年の今だから気付けましたが、そのときは、気づけませんでした。だから、メモ写しに追われたままだったのでしょうね。
あのときに気づけていれば、今の生活は違うのでしょうが、終わったことは仕方ない。
ライフログで、四苦八苦することも必要なことだったのだと思います。