ライフログを見直したら、こうなった
【ライフログのノート書きに追われている理由は?を考える?】でも述べたように、ライフログの取り方は、少しずつ変化していきました。
しかし、それらは続かなかったのです。
例えば、予定管理のためのカレンダー。月替わりと同時に、次のノートに切り替わるとは限らないので、10月は1枚で良かったのに、11月は次のノートに跨いで書くため2枚のカレンダーが要るということになったのです。
印刷を忘れたり、気づいても、後で印刷すればいいや。など、結局先伸ばししました。その間にもメモが溜まっていくのです。
その都度、印刷していたのだけど、1枚は必ず使うのだから。と、3カ月分をまとめて印刷してみたこともあります。
すると、印刷した物を入れたクリアファイルを探すはめになりました。探している間は、書き写しの手も止まりますから、ライフログの記録も"現在"に追い付かないまま。
なんとか追い付いて、書き上がったライフログを見てみると、字が汚い。メモ用紙に書いてあるものよりはマシでしたが、読みにくいのは、ほとんど変わりませんでした。
書き写さなくても、メモ紙を貼れば良いのでは?と疑問に思っているかたもいらっしゃるかもしれないですね。
書き写した理由は、数日·数週間たったメモ紙を見て、読めない文字や情報不足の内容で、思い出せないところがあったからです。
記憶にないものを貼っても意味がないし、しばらく思い出す努力をしてみると思い出せることもある。だから、貼らずにその都度メモ紙を見ながら思い出しの確認作業をして、抜けていたら補足してから清書としてライフログノートに書いていたのです。
文字の汚さ、情報の漏れ、印刷やグラフの作成。楽しめてたものも徐々に面倒になってきます。ネガティブな思いも沸いてきました。
メモにも、一行の日やメモ用紙を無くし"メモ忘れ""不明"と書く日も出て来ました。
ライフログをつける作業も滞り、空白の期間も増えてきたのです。
ライフログを見直したら、結局変わってなかったのです。
当然です。2016年の今だから気付けましたが、書き方を色々変えても、見直し方は変えていないのですから。ライフログを書いているにもかかわらず、同じところをクルクル回っていただけなのでした。